『ブログ運営者の夢は、世の中を「感謝の心」と「笑顔」で溢れさせること』の記事では、
- 幸せが感謝をもたらすのではなく、感謝が私たちを幸せにしてくれるので、生きている限りどの一瞬にも感謝して、どんな瞬間でも幸せを感じて欲しいこと
- 「感謝の心」は、幸せそのものなので、世の中を「感謝の心」と、「感謝の心」をもち幸せを感じることで自然と生まれる「笑顔」で溢れさせたいこと
をお伝えしましたが、
「そもそもオマエ誰やねん!」「今まで、どんな人生を生きてきてん??」「っで、今は何してんの!?」
という疑問が浮かぶと思いますので、
本ページでは、ブログ運営者(ヤミシタ)のプロフィール
・今までどんな人生を生きてきて、今は何をしているのか?
についてお伝えします。
自分のプロフィールを詳細に書くことは、とても気恥ずかしいですが、「今までどんな人生を生きてきて、今は何をしているのか?」ということを赤裸々にお伝えすることで、少しでも各記事の背景や目的が伝わり、少しでもブログを楽しく読んでもらえれば嬉しいです!
目次
学生時代
小・中学校時代
小・中学校時代は、地元(兵庫県伊丹市)の公立小・中学校に通い、至って平凡な暮らしをしていました。
平凡な暮らしって、どんな暮らし、、、?
と思われたかもしれませんが、
とても裕福な暮らしをする訳でもなく、ひもじい想いをする訳でもなく、愛情溢れる家庭で、平穏な日々を過ごしていたということです。
ただ、好奇心は強めでした。
「何故だろう?何故だろう?なぜ、何故だろうと思うのだろう?」「何故だろうと思うのは、なぜだろう?」
など、頭の中から「なんで?どうして?どうなってるの?」という様々な疑問が自然と沸いて出ていました。
その強い好奇心からか、いつしか宇宙に心を惹かれるようになり、「将来は、宇宙に関係する仕事に就きたい」という漠然とした想いをもつようになりました。
その為には、
将来宇宙に関係する仕事に就くには、「航空宇宙工学科」がある大学に行かねば。そしたら、地元の「普通科」しか無い高校に行ってたらダメなのでは、、、?
と考え、
地元の「普通科」しか無い高校ではなく、兵庫県の山奥にある「総合科学科」が有る高校を受験することにしました。
今、振り返ってみると、例えば「宇宙飛行士に成りたい」とか「スペースシャトルの設計をしたい」など「宇宙に関する仕事」の中身は全然具体的ではなく、「どこかにいるハズの宇宙人に会ってみたいな~」という妄想の方が強かったです(笑)
高校時代
もともと好奇心も強く、勉強は嫌いではなかったので(むしろ、好きな方だったので)高校受験では、無事合格することができ、「総合科学科」のある兵庫県の山奥にある高校で、寮生活をすることになりました。
高校時代は、大自然(山)に囲まれた寮で、「航空宇宙工学科」がある大学に入ることを目標に、ひたすら勉強し続けるという修行僧のような生活をしていました。
修行僧のような生活って、どういうこと!?
と思われたかもしれませんが、
- 部屋にはテレビもパソコンも(携帯電話も)なく、世間から隔離されていた、、、
- 寮の周りには、大自然(山)しかなく、遊びに行くところもなかった、、、
- 部活動にも入らず、寮と学校を行き来するだけの毎日であった、、、
- そして、モテなかったので彼女も作れず、青春を謳歌することもなかった、、、(泣)
- 寝て起きて勉強して、また、寝て起きて勉強して、を繰り返すだけの3年間だった
ということです。
山奥の寮で勉強漬けの3年間を過ごしましたが、今思えば、「勉強の仕方が本当にマズかった」ので、端的に言えば、「勉強時間だけは多かったが、全然成果を残せるやり方では無かった」ので、第一志望である「航空宇宙工学科」がある大学には入れませんでした、、、
当時は、かなり落胆していましたが、今、振り返ってみると、「あの勉強の仕方では、当然の結果」と考えており、もし、高校時代の自分に会えるなら、「勉強の仕方」=「超高速・並行・反復で記憶に定着させる方法」を教えてやりたいです!
浪人時代
本当にありがたいことに、両親は一年間浪人することを許してくれたので、地元(兵庫県伊丹市)に戻り、大阪の予備校に通い、再度、第一志望である「航空宇宙工学科」がある大学に入ることを目指しました。
大阪の予備校に通い、まず衝撃を受けたのは、「予備校の授業の面白さ」です。
高校時代は、(自分で望んで行ったのですが)山奥の寮に隔離されており、高校の授業と独学で勉強していたので、予備校の授業の「分かり易さ」と「分かるからこその面白さ」には、本当に大きな衝撃を受けました。
「こんなに分かり易く面白い授業があるんだ、、、」「毎日授業を受けるのが、楽しみ過ぎる!」「分からないことが分かることってむちゃくちゃ嬉しいな!!」
と痛感し、私は、予備校の先生にすっかり魅了され、学ぶことがより一層大好きになりました。
予備校の1年間は、本当に毎日が面白く、あっという間に過ぎた1年間でした。
(もう、1年でも2年でも予備校に通いたいぐらい、授業を受けるのが楽しかったです)
しかし、授業は面白く、毎日学ぶことが楽しくて仕方なかったのですが、数学に没頭してしまい、他の科目を全然勉強する気になれず、もともと第一志望であった「航空宇宙工学科」がある大学には入れませんでした。
「難しい数学の問題を、予備校の先生がいとも簡単に解く」ということが面白すぎて、どんどん難しい数学の問題に(難しい問題を簡単に解くその素晴らしい解説に)ハマってしまったのが、受験に失敗した最大の原因です、、、
(他の科目の勉強もですが、センター試験の勉強も全然していなかったので、、、)
数学しか勉強してなかったら、そりゃ大学落ちるわ、、、。なんで、他の教科も勉強しなかったん!?
と思われたかもしれませんが、(今の私も、当時の自分に同じツッコミをしたいですが、、、)
それほど、数学の授業の面白さに魅了され、周りが全然見えていない状況でした(泣)
浪人しても第一志望の大学に入れなかったことは「大きなショック」でしたが、今、振り返ってみると、「数学ばかりしていた、当然の結果」であり、もし、浪人時代の自分に会えるなら、「全体像と要点を抑えることの大切さ」を教えてやりたいです!
大学時代
高校時代に勉強時間だけは長ったこと、浪人時代に数学を中心に毎日楽しく学んでいたこともあり、同志社大学工学部機械システム工学科に合格することはできました。
しかし、第一志望であった「航空宇宙工学科」がある大学に入れなかったことは、私にとって大きな挫折であり、かなり落胆もしました。
更に、大学に通い、衝撃を受けたのは、「大学の授業のつまらなさ(難しさ)」です。
浪人時代の予備校では、
どれだけ難解な問題でも、びっくりするぐらい分かり易く教えてくれる!!
ので、難解な問題でも、まずは自分で考えてみて、毎日授業を聞くのが、先生の解説を聞くのが、楽しみで仕方ありませんでしたが、
大学の授業では、
非常に難しい工学の問題は、授業を真剣に聞いても全然分からない、、、
ので、毎回授業を聞いて、「えっ、何でそうなるん?」という疑問に対して、自分で教科書を読んだり、別の参考書を買って読んで考えて、「なるほど、そういうことか!」と必死で疑問を解決していくのが、本当に大変でした、、、
実は、大学に入ってからも、予備校の先生には、大いに助けてもらいました!大学の教科書は難し過ぎるのですが、予備校の先生が、大学生向けの参考書を執筆しており、それがまた、むちゃくちゃ分かり易いので、出ている参考書は全部買って、繰り返し読んで頭に叩き込んでいました!
予備校の先生は、「いかに、分かり易く教えることができるか?」ということを常に考えて授業をしてくれますが、大学の教授は、そうではないので、(メインは研究なので当然ですが、、、)
浪人時代と大学時代では、授業の面白さと難しさが全然違いました。
大学の授業ってそんなもん(難しいモノ)やで、、、。自分で考える、自分で学ぶのが普通やし、、、
と思われたかもしれませんが、
予備校の授業が楽し過ぎた私にとっては大きな衝撃であり、
「第一志望の大学に入れなかった」という挫折と「大学の授業がつまらない(難しい)」という予備校時代との大きなギャップから、
- 自分が本当にしたいことは何なのか?
- 将来、何を目指すべきなのか?
ということが分からなくなり、大学1回生、2回生の頃は、卒業に必要な単位はきっちり取得してはいたものの、将来が見えなくなり、少し、自暴自棄にもなり、今思えば、大学生活という貴重な時間の多くを、ムダにしてしまっていたと感じます。
そんな中、大学3回生の時に、私の考え方を、大きく変える出来事が起こりました。
それは、JR福知山線脱線事故です。
私は、大学の2限目の授業を受けるために、本来は、JR福知山線脱線事故の電車に乗るハズでした。
幸運にも、前日、レポート課題を仕上げるために徹夜しており、その電車に乗ることはありませんでしたが、いつも通り大学に行っていれば、命を落としていた可能性が高いです。
最も被害が甚大であった2両目と3両目は、同志社前駅の改札に一番近い位置にあるため、私も、普段通り大学に通っていたら、事故を起こした電車の、2両目に乗っていたからです。
幸い私の知人で命を落とした人はいませんでしたが、同志社大学の学生も犠牲になっており、
- 生きていることは、当たり前のことではない。本当にいつ死ぬか分からない
- 普段通り通学していたら死んでいた。今、生きているのは、本当に幸運なこと
- 第一志望の大学に落ちたからと言って、将来目指すべきものが見えないからといって、自暴自棄になっている場合ではない!!
と強く想い、それからは
- JR福知山線脱線事故で、既に死んでいるものとして考えること
- 奇跡的に、幸運にも、現実の世界に影響を与えられる状態であると考えること
- 残された時間で少しでも周りの人の役に立ち続ける・笑顔に、幸せにし続けること
- そのために、自己研鑽を怠らないこと
を肝に銘じ、生きている奇跡と幸運に感謝し、自分を磨き続けることで、少しでも、人の役に立ち続けたい、笑顔に、幸せにし続けたいと考えるようになりました。
(JR福知山線脱線事故で亡くなられた方々のご冥福、怪我をされた方々の回復を心よりお祈りしています)
「電車に乗る」という安全そのものと思っていた行動でも、命を落としていた可能性が高かったことは、私にとってはそれまでの考え方を根底から覆すほどの大きな出来事であり、あの事故以降、生きている幸運を噛みしめ、「少しも時間をムダにしてはいけない!」と心の底から思うようになりました。
社会人時代
塾講師時代
「学ぶことが大好きであること」と「少しでも人の役に立ち続けたい、笑顔に、幸せにし続けたい」という想いから、関西を拠点に進学塾を運営している従業員数400名前後の企業に、塾講師として就職しました。
もちろん、真の学ぶ楽しさを教えてくれた予備校の先生に対する憧れの気持ちもありました。
「いつかは、予備校で数学を教えられるようになれればなぁ~」「十年以上かかっても良いし!」
という漠然とした想いはありましたが、数学科を卒業した訳でもないので、私は、主に小中学生に算数や数学を教える部門に配属されました。
実際に、算数や数学を生徒に教えていると、私は、塾とそこに通う生徒に対して、大きな思い違いをしていることに気がづきました。
私が予備校に通っていた理由と、勉強をしていた理由は、
- 予備校に通っていたのは、お金を払ってでも勉強したい(志望校に合格したい)から
- 勉強をしていたのは、分からないことが分かるようになるのが面白いから、知らないことを知れるのが楽しいから
でした。
私は、誰もが、お金を払ってでも勉強したいから塾に通い、分かるようになることが面白いから(成長できるのが嬉しいから)勉強するものだと思っていました、、、
いやいやいや、自ら好きで塾に通って、学ぶ楽しさを実感して、ニヤニヤしながら勉強する子なんて、ほとんどいないやろ!?
と思われたかもしれませんが、
正にその通りで、塾に通っている小中学生の多くは、
- 塾に通っているのは、親に、半ば強引に行かされているから
- もしくは、友達が行っているから
- 勉強をしているのは、親や塾の先生に「やれ」と言われているから
でした。
(自ら希望して塾に通い、「勉強、むっちゃ面白いわ!」と言う子供は、ほとんどいません、、、)
当時の私は、
- お金を払ってでも、勉強したい生徒には、いくらでも教えてあげたい
- しかし、別に勉強が全てではないので、小中学生のうちは、勉強ではなくても、自分の好きなこと、やりたいこと、将来の夢の実現のためになることに没頭したら良い(それを全力で応援したい)
という考え方を持っていましたので、
勉強したいなら、いくらでもトコトン教えるけど、勉強したくないなら、せんかったらええねん!勉強は無理やりさせられるものでもないし、お金を払ってまで、嫌々勉強するぐらいなら、本当にしたいこと、将来の夢のために時間も、エネルギー(気力も体力)もお金も使ったらええねん!!
と思っていました。
今では、無理やりにでも、嫌々でも勉強した方が良い理由をいくつも挙げられますが、当時は、生徒たちから何回聞いたか分からない
「ねぇねぇ、先生、何で勉強せなあかんの?」「この勉強が社会人になってから、どんな役に立つの??」「というか、ホンマにこの勉強は役に立つの!?」
という質問に対して、塾講師以外の社会人経験が無い私は、答えを持ち合わせていませんでした、、、
むしろ、私も、生徒たちと同様に「小中学校の勉強は、社会人になったら不要なのでは?」という懐疑的な考え方をしていたので、生徒たちに対して、真剣に「嫌でも勉強しなさい!」と言うことが出来ませんでした。
- 小中学生が、無理やりにでも勉強しなければならない理由はあるのか?
- 小中学校の勉強が、社会人になった際にどんな役に立つのか?
- そもそも、本当に役に立つのか!?
- 社会人に求められるスキルはどんなものなのか?
- そのスキルは、どうやって体得するものなのか?
- それは、小中学校で習うことと、どんな関係があるのか?
ということに対する答えを、自分の中でしっかりと持ちたい、それが無ければ、塾で教える資格が無いと考え、塾講師ではない職業に就くことに決めました。
社会人に求められるスキルで、小中学校でも養うことができるモノの一つは、「達成したいゴールを設定して、実現するための行動計画を立て、それを試行錯誤しながらやり遂げること」です。例えば、テストで●●点を取ることをゴールに設定して、その為にいつまにで何をすべきかという行動計画を立て、実行しながら日々やり方を改善してゴールを達成する力を養うことは、ビジネスでも超重要です!
プログラマー時代
塾講師を辞めた後、私は、従業員数100名前後の企業に、プログラマーとして就職しました。
塾講師から、いきなり、全然違う職業を選択したな、、、
と思われたかもしれませんが、
大学時代は、「コンピュータープログラミング」の講義が非常に好きであり、自分でプログラミング言語の教材を購入して独学でも勉強しており、卒業論文でも、流体力学のシミュレーションプログラムを自分で書いて発表していました。
「コンピュータープログラミング」を利用すると、(一瞬で膨大な計算が可能なので)自分の頭では分からないことが一瞬で分かるということが非常に面白く、「もっと勉強したい!」という気持ちもあったので、プログラマーという職業を選びました。
私は、もともと「考えること」「学ぶこと」が大好きであり、一人で黙々とプログラムを書いたり、動作確認してバグを修正したりすることが「性に合っているのでは?」と思っていましたが、やってみると自分の性格にピッタリでした! 画面に向かって「こうしたらええんかな?」「あれ、なんで動かへんねん?」「おぉ、ちゃんと動いた!」とかブツブツ喋りながら、いつまでも作業できました(笑)
また、小さい規模の会社を選んだのは、「現場で、すぐにでもプログラム開発の経験を積みたい!」と思ったからです。
就職した会社では、取引先企業に常駐して、プログラム開発の仕事を請け負っていたのですが、私は、デジタルカメラのプログラム開発現場に常駐することになりました。
プログラムによってデジタルカメラを制御するということ、すなわち
- プログラムによって、「意図通りに精密機械を制御する」ということ
- 何万行というプログラムによって、「正しい制御ができる」ということ
が奥深く、私にとっては面白過ぎて、私は、デジタルカメラのプログラム開発の仕事に、プログラミングの勉強に、没頭しました。
一体、何がそんなに面白いの!?
と思われたかもしれませんが、
デジタルカメラのプログラムは、そのプログラムの設定値を少し変更しただけで、一行変えただけで、正しく動作しなくなり、
「何万行というプログラムが正しく記述されて、初めて綺麗な撮影ができる」
ということに感動し、圧倒され、「一つ一つのプログラムの内容をもっと知りたい」という好奇心がフツフツと沸いてきました!
更に、プログラムの記述内容を解析してみると、その内容はエンジニアの知恵と試行錯誤の塊であり、
「たった一つの機能を実現するのに、ここまで大量のプログラムが必要なんか、、、」「なるほど!こんな書き方をすれば、正しく動作するのか!」「おぉ、カメラのピントを合わせるのに、高校数学(積分)の知識が使われてる!?」
など、プログラムの記述内容を解析するごとに「気づき」や「学び」があり、とても楽しかったです。
(この説明を聞いても、やっぱり「一体、何がそんなに面白いねん!?」とツッコミが入るかもしれませんが、、、)
勉強と仕事に没頭した甲斐もあり(ただ、面白くてハマっていただけ)半年後には、見習いの立場から、実際の製品にリリースするプログラム開発の仕事を任されるようになり、更に、私は仕事にハマっていきました。
プログラム開発の仕事も、プログラミング自体の勉強も楽しくて仕方なかったのですが、
・デジタルカメラ自体の需要の減少から、開発人員の縮小(常駐人数の削減)
が決まり、デジタルカメラのプログラム開発現場を離れることになりました。
また、多くの人員がその現場を離れることになり、すぐにその人員の全てを異なる現場に常駐させることが困難であったため、私自身も、別の就職先を探しました。(同じタイミングで、その現場を離れた先輩や同僚も同様でした)
小さい規模の会社で働くことで、「すぐに実践経験を積める(実践経験ほど学べるものはない)」ことが最大のメリットですが、景気の影響、ビジネス環境の変化、大企業の方針転換などの影響をモロに受けることも痛感し、「もう少し規模の大きい会社で働かねば、、、」と思いながら、次の就職先を探しました。
システムエンジニア時代
プログラマーとしての経験を得た後、私は、従業員数400名前後の企業に、システムエンジニアとして就職しました。
あれ?「プログラマー最高!」とか言ってたのに、プログラマーとして就職せーへんかったんや、、、
と思われたかもしれませんが、
確かに、プログラム開発の仕事、プログラミング自体の勉強も大好きだったのですが、
- 「どんな機能をプログラムで実現するか?」という機能要件の整理
- 「そもそもどんなことを実現したいのか?」というビジネス要件の整理
- 「求められる品質・納期・コストを守れるか?」という進捗・課題の管理
という一段階上(上流工程)の仕事もできるようにならなければいけないという想いから、プログラマーとしてではなく、システムエンジニアとしての仕事を選びました。
システムエンジニアとして、私は、防災無線システムの開発・導入の要件の整理、システム全体の設計、案件全体の取り纏めを行う仕事に携わりました。
要件の整理、システム全体の設計、案件全体の取り纏めの仕事は、今まで行ってきたプログラム開発とは内容が異なり、初めは、分からないこと、うまくいかないことも多く、大変ではありましたが、
- お客様のやりたいこと、実現したいことを直接聞いて、整理できること
- より広い視野をもって、システム全体の設計を行うことができること
- お客様や協力会社様などの社外の関係者や、実際にプログラム開発を行ったり、品質チェックを行う社内の関係者との調整を含め、案件全体の取り纏めを行えること
に大きなやりがいを感じ、また、仕事と勉強に没頭していきました。
その頃、資格の勉強にもハマっており、
- 応用情報技術者
- ネットワークスペシャリスト
- 情報セキュリティスペシャリスト
などの資格も取得できました。
私は、良くも悪くも「何かに没頭し易い」性格です(笑)仕事にも資格勉強にもハマり、資格勉強では、ようやく「効率が良く、結果の出る勉強の仕方」=「超高速・並行・反復で記憶に定着させる方法」を実践できるようになりました!
システム開発のプロジェクトマネージャー時代
システムエンジニアとして、要件の整理、システム全体の設計、案件全体の取り纏めを一通り行うことができるようになった後、私は、システム開発のプロジェクトマネージャーを任されることになりました。
おぉ、大抜擢じゃないの!?
と思われたかもしれませんが、
それまでは、要件の整理、システム全体の設計、案件全体の取り纏めを行う際も、先輩からのサポートを受けながら業務を行っており、
今度は、プロジェクトマネージャーとして、責任と意思決定権が与えられ、自分でプロジェクト全体をリードしなければならないので、正直なところ、プロジェクトマネージャーを任せてもらえた嬉しさよりも、不安とプレッシャーの方が大きかったです、、、
そんなとき、当時の上司が「とにかく、やれるだけやったらええねん!プロジェクトのゴールを達成するために全力を尽くすしかないし、やる前からアレコレ心配してもしゃーないで!!」と言ってくれたので、覚悟を決めてプロジェクトマネージャーという責務に挑戦することができました!
私がプロジェクトマネージャーを任されたのは、「携帯ショップ向けの来店者様の呼び出しシステムの開発」でした。
携帯ショップとは、docomoショップやauショップ、softbankショップなどの携帯電話を販売しているお店のことです。(誰しも、一度は行かれたことがあるのでは?と思います)
そもそも携帯ショップでは、
- どのような業務が、どんな流れで行われているのか?
- それらの業務は、どのような体制で、どんな管理をされているのか?
- 各業務を実施する・店舗を運営するうえで、どのような問題を抱えているのか?
- 多くの問題の中から、優先的に「解決すべき問題」=「課題」は何なのか?
ということを、初めは全然理解できていかなったので、
実際に店舗に行き、業務を見させてもらいながら、現場のスタッフの方々、店舗運営者の方々に、各業務の内容、管理すべき内容、抱えている問題について、話を聞かせてもらい、優先的に「解決すべき問題」=「課題」について議論させてもらいました。
現場を知らなければ話にならない、現場の方々が使い易く、現場の課題を解決できる価値のあるシステムでなければ意味がないので、(現場の方々の邪魔にならないように最大限の配慮をしたうえで)
何度も現場を見させて頂き、現場の方々の話を丁寧に聞いて、優先的に「解決すべき問題」=「課題」は何なのか?という議論を繰り返しながら、要件の整理やシステムの全体設計などを行っていきました。
- 求められる要件に対して、その要件を実現するために必要な機能を整理する
- システムの全体設計を行い、全体構造と各機能(各要素)の関係を明らかにする
- 各機能の開発に必要な作業を洗い出して、実行体制とスケジュールを検討する
- 開発コストも算出し、お客様と機能内容、品質、納期、コストを合意する
- プロジェクトゴールを達成するために、日々進捗と課題を管理する
- 困難な課題に直面しても、メンバー全員で知恵を振り絞って対応する
- 急な要件変更に対しても、課題解決に必要であれば、最善の策を尽くす
ことなど、プロジェクトマネージャーとして、お客様と合意したプロジェクトゴールを達成できるように、システム開発のプロジェクト全体をリードしていくことは、
毎日22時頃まで残業し(時には、日付が変わることもあり)、四六時中プロジェクトのことを考え、疲労困憊しながらもメンバーと協力して、着実に粘り強くプロジェクトを進めていくことであり、
「もう、いっそのこと、倒れてしまいたい、、、」「仕事(責務)を放棄して、ラクになりたい、、、」
と思うぐらい大変なことではありましたが、システム開発に着手してから
- 半年後に、初めて開発したシステムの全ての機能が正常に動作したとき
- 7ヶ月後に、無事、1店舗にシステムを導入できたとき
- 一年半後に、関西にある約300の店舗にシステムを導入できたとき
- 現場の方々から「使い易い!」「これむっちゃええわ!」と言ってもらえたとき
の感動とチームの一体感と達成感、そして、やり遂げたことに対する成長の実感は、それまで経験したことがないぐらい、格別なモノでした。
(現在では、携帯ショップに限らず、全国で約1,000施設に導入されているシステムなので、もしかすると、使ったことがある方もいるかもしれません!)
プロジェクトマネージャーの仕事は、日々課題解決、日々意思決定、日々調整ごとの連続で本当に大変なのですが、その分、やりがいも大きく(もちろん責任も!)確実に自分自身の成長につながります!そして、自ら「プロジェクトマネージャーやりたい!」と思う人はあまりいないかもしれませんが、需要もあります(笑)
中小企業向けWebサイト構築のプロジェクトマネージャー時代
システム開発のプロジェクトマネージャーの仕事をやり遂げた後、結婚することを考えていたので、
「もっと、残業時間を減らして家庭の時間も確保できるようにせねば、、、」と考え、それなら「残業時間制限も厳しく、短時間(就業時間内)できっちり成果を残すことが求められる、より大きな企業で働こう!」と思い、転職を決意しました。
システム開発のプロジェクトマネージャーとして貴重な経験をできたこともあり、すぐに、従業員数3,000名以上の事務機器メーカーの販売会社に転職することができました。
あれ?システム開発を行う会社に転職したんじゃないんや、、、?
と思われたかもしれませんが、
どの事務機器メーカーと、その販売会社でも同様なのですが、近年、事務機器業界では、製品がコモディティ化(同じような製品が溢れかえっていること)しており、
単純に製品だけで勝負するのではなく、製品+ITサービスを提供することで、顧客満足度を高める(顧客の囲い込みを行う)ことに注力していることから、
「ITサービスを提供できる人材」が求められており、これまで「プログラマー」「システムエンジニア」「プロジェクトマネージャー」として培ってきたスキルと経験が最大限に発揮できると考えました。
まずは、既存のお客様に対して、更に、可能であれば新規のお客様に対して、新しいITサービスを提供することが求められ、
私は「中小企業のお客様にITサービスを提供する事業部」で「サービス提供の役割を担う部門」に配属されました。
企業によって、各部門の役割分担の仕方は様々ですが、お客様にITサービスを提供する際、
- 営業部門:お客様と最初に接点を持ち、課題をヒアリングし、「どのようなITサービスであれば課題解決が可能か?」を見極める役割を担う
- 技術営業(プリセールス)部門:営業部門からお客様を引き継ぎ、より深いITサービスの専門知識を持ち、サービス提供(デリバリー)部門と協力して、お客様への詳細な提案を行い、仕事を受注するまでの役割を担う
- サービス提供(デリバリー)部門:仕事を受注した後、技術営業(プリセールス)部門からお客様を引き継ぎ、実際にITサービスを提供する役割を担う
というような役割分担をすることが多いです。
私が「サービス提供部門(デリバリー部門)」に配属されたのは、もともと「プログラマー」であり「システムエンジニア」であり「プロジェクトマネージャー」としての経験もあったからです。
事務機器メーカーの販売会社に転職してすぐに、私は「大企業のお客様にWebサイト構築を専門で提供する事業部」の、あるコンサルタントのプレゼンテーションに感銘を受けました。
誰もが知っている日本の大企業に勤めている参加者も多数いる中で、「世界から見た日本企業のWebサイトの欠点」から「今後、日本企業がWebサイトを活用して世界で戦うためには、どうすれば良いのか?」までを実体験を交えながら熱く語り、参加者を魅了して、プレゼンテーションの最後には拍手喝采を受けていた光景は、今でも鮮明に覚えています!
私は「中小企業のお客様にITサービスを提供する事業部」で、そのコンサルタントは「大企業のお客様にWebサイト構築を専門で提供する事業部」だったので、所属する事業部が異なりましたが、
「心の底から、この人のように成りたい」
と思うことができ、それから私は、Webサイト構築に関する猛勉強を開始しました。
そして、心から尊敬できるコンサルタントの思考を丸パクリできるように、
- その人が書いた「提案書」、実際に「サービス提供された資料」
- 感銘を受けたプレゼンテーション動画、それ以外の過去に講演されたセミナー動画
などを、ありとあらゆるコネを使って集め、「動画を視る」「音声を聴く」「文書を読む」ことを「超高速」「並行」「継続」で行うことで、思考をインストール(自分のものに)できるように努力しました。
そのコンサルタントが書いた提案書やセミナーで講演されたプレゼンテーション動画は、もう何度読んだか、何度視聴したかは、分かりません、、、
そして、「中小企業のお客様にITサービスを提供する事業部」の「サービス提供部門」において、私は、見様見真似で、中小企業のお客様にWebサイト構築を提供するようになりました。
えっ、見様見真似で、勝手にWebサイト構築を提供しても大丈夫なの!?
と思われたかもしれませんが、
Webサイト構築の提供も、大きく分類すれば「ITサービスの提供」であり、会社としては全く問題ありませんでした。
あとは、スキルや経験の問題ですが、
もともと「プロジェクトマネージャー」としてのスキルと経験はありましたので、お客様の要望や課題をヒアリングし、要件を整理して、Webサイト制作を行うことができる協力会社様に要件を伝え、
お客様と機能・品質・納期・コストを合意したうえで、私がプロジェクトマネージャーとして全体の取り纏めを行い、協力会社様と協力して、お客様の要望を満たすWebサイト構築を提供できました。
「プロジェクトマネージャー」のスキルと経験は、どんな仕事にも活用することができ、例え、専門知識が無かったとしても、社内外の専門知識を持っている人と協力することで、お客様の要望に応えるサービスを提供することができます!
心から尊敬できるコンサルタントが書いた提案書の読み込み、プレゼンテーション動画の視聴、Webサイト構築に関する技術や事例の勉強、そして、中小企業のお客様に対するWebサイト構築の提供を継続しながら、
「心から尊敬できるコンサルタントと一緒に仕事ができる機会」
を粘り強く待ち続けていたところ、社内公募により、そのコンサルタントが所属する「大企業のお客様にWebサイト構築を専門で提供する事業部」で、営業担当者が募集されました。
もちろん、すぐに立候補し、
- どれだけ懸命に勉強と実践を続けてきたか?
- どれだけWebサイト構築の知識と実績があるか?
を猛烈にアピールすることで、
事業部を異動し、役割もサービス提供(デリバリー)部門から、営業部門に変更することになりましたが、心から尊敬できるコンサルタントと一緒に仕事ができる機会を得ることができました。
それは、事務機器メーカーの販売会社に転職し、Webサイト構築の勉強と実践を続けながら待ち続けて(準備をし続けて)、約3年後のことでした。
事業部も、役割(職種)も(実は、勤務地も)異なる部門へ異動することは、大きな決断でしたが、「この機会を逃したら、一生後悔する!」と思い、覚悟を決めて新しい挑戦に踏み出しました。もちろん、異動前に想像していたことと異なることばかりでしたが、「やらずに後悔するぐらいなら、やって後悔した方が良い!」と常に思っています!
大企業向けWebサイト構築の営業時代
晴れて「心から尊敬できるコンサルタントと一緒に仕事ができる機会」を得ることが出来た私は、それまで以上に、そのコンサルタントの思考を丸パクリできるように、
少しでも多くの時間を過ごせるように、少しでも多くの仕事を一緒にできるように、必死で営業活動を行いました。
その結果、
- 日本で知らない人はいないスポーツ用品メーカーのWebサイト構築
- 全世界に販売網を持つグローバルな塗料メーカーのWebサイト構築
- 1兆円を超える売上規模をもつ精密機器メーカーのWebサイト構築
- 日本の大学を網羅している理化学機器販売商社のWebサイト構築
関連の仕事などを受注でき、心から尊敬できるコンサルタントと一緒に仕事をすることができました。
営業とコンサルタントと、役割は違っても、実際に一緒に仕事をすることで「気づけること」「学べること」は非常に多く、私にとって、濃密で至福の時間でした。
好意が強すぎて、ちょっと、気持ち悪い域に達してるな、、、
と思われたかもしれませんが、
それまで、心から尊敬できるコンサルタントの提案書やプレゼンテーション動画は、何度も見てきましたが、
- 実際に、お客様とどのようなことを喋るのか?
- どのような意思決定をして、どんな提案を行うのか?
- そして、どのようにお客様を魅了していくのか?
ということは、生の商談でしか見れないことでしたので、毎回の商談が楽しみで仕方がなく、一字一句聞き逃しがないようにメモを取り、目を輝かせながら話を聞き、多くの「気づき」と「学び」を得ていました。
本当に幸せで、本当に貴重な「気づき」と「学び」の時間でした。
しかし、そんな「私にとって最高の時間」は、長くは続きませんでした、、、。
心から尊敬できるコンサルタントが、退職することになったからです(泣)
心から尊敬できるコンサルタントが退職することを知ったとき、失神しそうになりました(笑)「せっかく、事業部も、役割も(勤務地までも)変えて、一緒に仕事ができる機会を掴んだのに、、、」とやりきれない想いでいっぱいになりました。
そのコンサルタントが退職した後、事業部の方針も大きく変わり、私にとって魅力的な要素は、何一つ残っていませんでした、、、
- 今後、誰を、何を目標にすべきか?
- このまま、この事業部に留まるべきか?また、新しい挑戦をすべきか?
- 新しい挑戦は、どこで、誰と、何をするのが良いのか?
など、自問自答するものの、答えが出る訳でもなく、悩みを抱えながら、悶々とした日々を過ごしていたところ、「大企業のお客様にITサービス(Webサイト構築を除く)を提供する事業部」の「技術営業(プリセールス)部門」の部長から
「そんなに悶々としているなら、新しく技術営業(プリセールス)の仕事をせーへんか?」
という嬉しいお誘いを受けました。
このまま悶々としていては、お客様にも、社内の関係者にも悪影響を及ぼしてしまうので、私は、心機一転し、新しく技術営業(プリセールス)部門の仕事に挑戦することにしました。
結局、人が悩みを抱えてしまうのは「仕事や人間関係がうまくいかない、、、」という理由もありますが、「やりたいことが見つからない(分からない)」こと、自分にとって「本当に大切な人」「本当に重要なこと」が完全に明確でないことが一番根深い原因です。やはり、悩みを吹き飛ばし自分の人生を生きるには「やりたいこと」「本当に大切な人」「本当に重要なこと」を明らかにすることが第一です!
大企業向けITサービス提供の技術営業時代
新しく「大企業のお客様にITサービス(Webサイト構築を除く)を提供する事業部」の「技術営業(プリセールス)部門」に配属された後、すぐに、私にとって予想外のことが起きました、、、
それは、「技術営業(プリセールス)部門」に誘ってくれた部長が、退職したことです(泣)
「えぇ!?もう退職するんですか!? 今から、一緒に仕事できることを楽しみにしてたのに、、、」
とその部長に伝えると、
「きみが、技術営業(プリセールス)部門に来てくれたから、安心して退職できるわ!」
とか言われました、、、
「いやいやいや、ちょっと待って下さいよ!! せっかく、部署を異動してきたのに、、、」と、心の中で何度ボヤいたか分かりません(泣)
悲劇の始まり(マイクロマネジメントする上司との出会い)
そして、更に、私の悲劇は続きます、、、
「技術営業(プリセールス)部門」に誘ってくれた部長が退職した後、マイクロマネジメントをする新しい上司がやってきました(泣)
「これから、すべての商談、すべての業務上での行動を、細かく管理するから、ヨロシク! お客様や他の部門へメールするときは、必ずCcに含めること! お客様や他の部門へ渡す提案書などの資料は、必ず確認するから事前に提出すること!」
と言われ、その日から、すべての商談、すべての業務上での行動に対して、細かい指摘をされるようになりました、、、
「すべての商談を、必ず、商談管理システムに登録しろと言ったよね? ●●の商談が抜けてない? 今すぐ、抜け漏れが無いかを、再確認して!」
「商談管理システムに登録されたすべての商談は、必ず、最新状態を保つように言ったよね? ▲▲の商談の情報古くない? 今すぐ、他の商談も含めて最新状態にして!」
「■■の商談は、いつ売上できる? 決裁者は誰? 競合他社はどこ? 予算の上限は? 商談の決め手は何?(何さえ解決すれば、受注できる?)一つでも分からないことあるなら、今すぐ、お客様に確認して! こんなんビジネスの基本やで!」
「今期の売上目標(利益目標)は、どうやって達成するつもり? いつまでに、何をすれば達成できるの? 活動計画見せて? えっ、活動計画無いの? じゃ、どうやって今期の売上目標(利益目標)達成するつもり? 運?勘?活動計画無いならすぐ作って!」
「××の商談が、今期の売上にならなくなったのは分かったけど、その数字をどうやって埋めるの? リカバリー策を教えて! えっ、リカバリー策無いの? じゃ、どうやって今期の売上目標(利益目標)達成するつもり? すぐにリカバリー策検討して教えて!」
「来期の売上目標(利益目標)を達成するための商談作りは、ちゃんとできてる? 商談管理システムには、全然登録されてないけど大丈夫? 今期の売上目標(利益目標)を達成するのは当然として、来期の売上目標(利益目標)を達成するための種まきもしてや!」
「○○の商談の進展がないけど、理由は? 何がボトルネックになってて、どうすれば商談を進めることができるの? 待ち状態では、このまま何も進まんで! 主体的に行動して、必要ならドンドン人を巻き込んで、早く前に進めて!」
「△△の商談がトラブルになっているけど、原因は何? トラブルを引き起こす根本原因は把握してる? 根本原因を突き詰めて、今回のトラブルを解消することは当たり前として、今後、二度と同じトラブルが発生しないように、対策を打って!」
「すべての業務上での行動を、必ず、予定表に登録してと言ったよね? この前、□□に訪問した行動が抜けて無い? 予定表の登録と交通費精算の内容が一致してない場合は、交通費精算の申請を承認できへんで!」
「すべての業務上での行動を、予定表に登録した? これで全部? この行動量で、本当に今期の売上目標(利益目標)は達成できるの? すべての商談が受注できる訳ないから、もっと、行動量を増やさないとダメなのでは? もっと、商談数を増やしたら?」
「お客様や他の部門へメールするときは、必ずCcに含めてと言ったよね? この前、他部門の部長から、『★★の商談で相談されたけど、知ってる?』と聞かれて、何も答えられへんかったわ、、、。何でCcに含めへんの? 報・連・相をしっかりして!」
「この前のメール、伝わりづらいから、もっと簡潔に書くようにして!」
「お客様や他の部門へ渡す提案書などの資料は、必ず確認するから事前に提出するように言ったよね? えっ、見せる時間が無い? それは、段取りが悪いだけでは? ちゃんと、事前確認の時間も見越したうえで、お客様や他の部門へ渡せるように段取りして!」
「この提案書、事例が少ないわ、、、。もっと事例を追加して、具体的な内容にして!」
「売上目標(利益目標)を達成することは大前提として、社内の業務改善活動にもちゃんと参加してや! ちゃんと自分ゴトとして捉えてる? 会社に対して、売上(利益)貢献することはもちろん、業務内容を改善することも大事やで!」
などなど、指摘された内容を挙げると、キリがありません。(長くてすいませんでした)
指摘された内容の一つ一つは、どれも真っ当な指摘であり、当然そうすべきなのですが、すべての指摘を完璧にこなすのは至難の業です。
私が、すべての指摘を完璧にこなすことは、到底できないと伝えると、
「えっ、何で出来へんの? 新入社員じゃないよね? こんなん全部出来て当たり前やで! どうやったら出来るかちゃんと考えた? 考えて全部試してみた? ちゃんと考えて、全部試してから、それでも出来ないなら相談して!」
と言われました、、、
更に、話を難しくしているのは、既に取引実績のあるお客様に、既に販売実績のある商品やサービスを提供するのではなく、
- 今まで取引実績のない新規のお客様に対して、
- 新しい事業を生み出すための、新しい商品やサービスを提供して、
- 今まで通り(今まで以上)の成果を残すことが求められる
ということです。
現在は、状況が刻々と変化し、将来が見通し難く、複雑で、前例もない問題が起こるVUCA(ブカまたはブーカ)の時代であり、
社内には、VUCAの時代で、新規のお客様に対して、新しいサービスを提供して、会社から求められる成果を残した人は、誰一人としていませんでした。
(上司は、VUCAの時代以前に、既存のお客様に、既存の商品やサービスを提供して、成果を残した人であり、状況が全く異なります)
私は、社内にやり方を真似できるような人もおらず、上司からのマイクロマネジメントによる細かく膨大な指摘に必死に対応する毎日を過ごし、どんどん疲弊していきました、、、
労働時間も、どんどん長くなっていきました、、、
労働時間は長くなりましたが、求められる成果を残すこともできず、上司からの指摘は増える一方でした、、、
何よりも大切な家族(特に、妻と子供)と過ごす時間もどんどん削られていき、ストレスも日に日に増えていきました、、、
「このままでは、絶対にいけない!」「何とかしなくてはいけない!」と強く感じたのは、疲労とストレスにより、一番大切な家族(特に、妻と子供)に対する「感謝の心」と「笑顔」が失われてきた、、、と気付いたときです。
希望の光と人生の好転(加藤将太さんとの出会い)
疲労とストレス、上司からの絶えない指摘によりどん底で悩み続けていた際に、人生が好転するきっかけとなったのは、
『1-7.思考を変え人生を変える方法(7)この人の思考になれたら、人生は好転する』の記事でもお伝えしている
「加藤 将太さん」の思考を丸パクリしたことでした。
加藤さんは、VUCAの時代でも(圧倒的に)成果を残している起業家であり、
- 新しい顧客を獲得して、新しい事業を立ち上げる
- 新しい商品やサービスを開発して、それらを提供する
- VUCAの時代に適したインターネットの利用を前提としたビジネスモデルを構築する
ことのプロ中のプロです。
私は、社内で心から尊敬できるコンサルタントの思考を丸パクリしたときと同様に、加藤さんの思考も、「動画を視る」「音声を聴く」「文書を読む」ことを「超高速」「並行」「継続」で行うことで、インストール(自分のものに)できるように、必死に努力しました。
そして、思考を、特に「何を重要と考えるか」を変えることで、意思決定の基準を変え、行動を変え、習慣を変えていきました。
もちろん、初めは失敗ばかりで試行錯誤の連続でしたが、少しでも加藤さんの思考の通りに、意思決定や行動ができるように、改善と行動を続けることで、
- 日本で知らない人はいない軽自動車メーカーへのITサービスの提供
- 連結で2万人以上いるグローバルな半導体メーカーへのITサービスの提供
- 1.5兆円を超える売上規模をもつ産業機器メーカーへのITサービスの提供
- 創業150年以上の歴史を持つ大手ゼネコンへのITサービスの提供
などを、提案し受注することができるようになりました。
マイクロマネジメントをする新しい上司からの指摘も、成果が出ないうちは、忍耐力を発揮するしかありませんでしたが、成果を残すことで、少しずつ減らすことができました。
今でも、「動画を視る」「音声を聴く」「文書を読む」ことを「超高速」「並行」「継続」で行うことによる、加藤さんの思考の定着(インプット)は欠かしていませんが、
現在では、より高生産性を追求し、短時間できっちり成果を残したうえで、家庭の時間も充実させることができるようになりました。
もちろん、長時間労働からも、ストレスからも解放されました!
加藤さんの思考を丸パクリして、何よりも良かったのは、心から大切にしている家族(特に、妻と子供)に対する「感謝の心」と「笑顔」を取り戻せたことです!「本当に大切な人」「本当に重要なこと」に時間、エネルギー(気力と体力)、お金を使い、自分の人生を生きることができるのは、本当に幸せなことです!
安定した日々(大切な家族と至福の時間を過ごせる生活)
そして、今では、下記のスケジュールのような日々を過ごしています。(最近は、テレワークも増えて、職場への通勤は少なくなっています)
- 3:00~6:00:読書をしたり、ブログを更新したり、自己研鑽の時間を過ごす
- 6:00~8:00:朝食の準備、仕事の支度をした後、ゆっくり家族で朝食を食べる
- 8:00~9:00:子供を保育園へ預け、職場へ通勤する
- 9:00~17:30:職場で仕事。高生産性を追求し、短時間できっちり成果を残す
- 17:30~18:30:職場から退社し、保育園へ子供のお迎えにいく
- 18:30~20:00:夕食、お風呂など、少し慌ただしくも家族の時間を過ごす
- 20:00~21:00:子供に絵本の読み聞かせなどを行い、ゆっくり家族と過ごす
- 21:00~3:00:子供と一緒に寝る(子供は、朝まで寝ています)
もちろん、休日出勤も、ほとんどありません。(1年に1回あるか無いかのレベルです)
私が、長時間労働からもストレスからも解放され、短時間できっちり成果を残し、家庭の時間を充実させ、自分の人生を生きていることを実感できるようになったのは、
- VUCA(ブカまたはブーカ)の時代でも(圧倒的に)成果を残している起業家である加藤さんの思考を丸パクリした
- 思考を、特に「何を重要と考えるか」を変え、加藤さんの思考の通りに、意思決定や行動ができるように、試行錯誤しながら実践し、改善と行動を続けた
ことがすべてです。
思考が変われば、行動が変わり、習慣が変わり、人格も人生も変わります。思考はすべての起点であり、思考の威力は絶大です。本ブログでは、私が今までの人生で磨いてきた思考(考え方)のすべてをお伝えし、少しでも、あなたの役に立ち続けたい、笑顔に、幸せにし続けたいと考えています!
まとめ
- 今まで中小企業から大企業まで、多くの職場を経験してきたこと
- 今まで塾講師、プログラマー、システムエンジニア、プロジェクトマネージャー、営業、技術営業など、多くの職種を経験してきたこと
- どの職場、職種においてもゼロから挑戦し、多くの挫折と失敗を経験しながら、多くの「気づき」と「学び」を得てきたこと
- 「加藤 将太さん」の思考を丸パクリしたことで、短時間で成果が残せるようになり、家族との充実した時間が過ごせるようになったこと
決して人に誇れるような人生を歩んできた訳ではありませんが、多くの挫折や失敗から、多くの「気づき」や「学び」を得てきたのは事実ですので、
それらをブログで発信し続けることで、少しでも、あなたの人生がより良いものになることを、心から願っています!